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本を読んで<2>
2001年9月30日ナノテクとセラピーが日常に浸透した近未来(?)な本を読んで。
内分泌のバランスが一気に変動するのを感じる時期には
そんな近未来が待ち遠しくなったりする。
フロイトやユングが解釈のメジャー(major/measure)
であった頃と
内分泌と神経伝達物質が新たなる
メジャーとして浸透してきた現在においては
内面の現象に対するパースペクティブも
変化し、それは現象として冷静に眺められる様になったといえる。
とはいえ、体験として冷静に感じられるところまで
コントロールしきれていないときもままあって、
それはまるで嵐に翻弄され道を見失い
ふきつける風雨に対し、ただがむしゃらに
拳をふりあげている。そんな感じ。
その嵐はあくまで体内でおこっている
化学的な反応にすぎないというのに。
起こっている現象に対して冷静な分析はできても
冷静な対処はできないといったところか。
作品で語られる近未来では、ナノマシンが
脳の「不適切」な回路を修正し、
神経伝達物質を調整し、
それをセラピーと呼び、大半の人間が
受療することが日常として描かれている。
想像する。
内分泌のバランスの変化が神経伝達物質の増加/減少を
引き起こしはするものの、それが内的現象をひきおこすまえに
平衡化される過程を。
ピース(peace/piece)・オブ・マインド
とはいえ、現在の段階でそれに近い(のか?)
働きをする薬物が存在しないわけではないし、
そんな薬物の投与を受けるのはなんだかぞっとしないし。
何より「治療」対象範囲には決して至ってないなぁ。
と思うと、やはり小説の中のつくりごとだから
好ましく思えてしまうだけなのかもしれない。
隣の芝生は青く見える
小説に倣って言えば、内面のメイン・ルーチンが
しっかりサブ・ルーチンを制御できるようになれば
按配できることがらなのでしょう。
嵐がやってくると、ちょっと弱腰になる
メイン・ルーチンと、
ちょっと強気になろうとするサブ・ルーチンを
やりすごしてくれるパートーナーに感謝。
今回の嵐はちょっぴり強風をともなってて
自分でもびっくりしたけど。
今度からは上手くやるね。
内分泌のバランスが一気に変動するのを感じる時期には
そんな近未来が待ち遠しくなったりする。
フロイトやユングが解釈のメジャー(major/measure)
であった頃と
内分泌と神経伝達物質が新たなる
メジャーとして浸透してきた現在においては
内面の現象に対するパースペクティブも
変化し、それは現象として冷静に眺められる様になったといえる。
とはいえ、体験として冷静に感じられるところまで
コントロールしきれていないときもままあって、
それはまるで嵐に翻弄され道を見失い
ふきつける風雨に対し、ただがむしゃらに
拳をふりあげている。そんな感じ。
その嵐はあくまで体内でおこっている
化学的な反応にすぎないというのに。
起こっている現象に対して冷静な分析はできても
冷静な対処はできないといったところか。
作品で語られる近未来では、ナノマシンが
脳の「不適切」な回路を修正し、
神経伝達物質を調整し、
それをセラピーと呼び、大半の人間が
受療することが日常として描かれている。
想像する。
内分泌のバランスの変化が神経伝達物質の増加/減少を
引き起こしはするものの、それが内的現象をひきおこすまえに
平衡化される過程を。
ピース(peace/piece)・オブ・マインド
とはいえ、現在の段階でそれに近い(のか?)
働きをする薬物が存在しないわけではないし、
そんな薬物の投与を受けるのはなんだかぞっとしないし。
何より「治療」対象範囲には決して至ってないなぁ。
と思うと、やはり小説の中のつくりごとだから
好ましく思えてしまうだけなのかもしれない。
隣の芝生は青く見える
小説に倣って言えば、内面のメイン・ルーチンが
しっかりサブ・ルーチンを制御できるようになれば
按配できることがらなのでしょう。
嵐がやってくると、ちょっと弱腰になる
メイン・ルーチンと、
ちょっと強気になろうとするサブ・ルーチンを
やりすごしてくれるパートーナーに感謝。
今回の嵐はちょっぴり強風をともなってて
自分でもびっくりしたけど。
今度からは上手くやるね。
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