CDを聴いて<1>

2001年9月22日
しまった…2ヶ月も空いてた(汗)
ちゅうしょうてきなよしなしごとに
思いを馳せることなくげんじつてきにすごして
しまっていたらしい。

それはさておき。

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10数年間変らず聴きつづけていたグループの
ライブまで、1ヶ月とちょっと。
持っている全てのCDを車に移動して、
出かけるときのBGMにしている。

今は新しいものから遡って聴いている状態。

このグループはだいたい3年に1度アルバムを
リリースするのだが、3年という年月は私にとって
ひとつの「クルー」的年月でもある。
そしてアルバムがリリースされるときというのは
この私のクルーになぜか適合していて、
つまり一枚一枚のアルバムを聴くごとに
ワンクルーの代表的な出来事が
自分のなかに甦ってくるわけである。

面白いのはその出来事というのが全て
辛かったことや苦しかったこと切なかったこと
であること。

raindrops taste like tears without a pain.

というフレーズを聴いて、
暮れる日のなか国道脇に立ち、白くなっていく
息をみつめていたこと。

the language defined us?

というフレーズを聴いて、
夜中にネットにリンクしてにぎにぎしい画面に
静けさを感じていたこと。

そんなシーンが象徴的な画面として運転している
今の風景とオーバーラップしていくわけである。

「ネガティブな思い出ばっかりだな」

苦笑するものの、楽しいことがなかったわけでは
決してない。
ただ楽しいかったこと、幸せだったことは
本当に苦しいとき辛いときに、過去の残像として
鮮やかに思い出される一枚のスナップショットとして
現れるというだけのこと。

そして、私にとって、辛いとき苦しいとき切ないときに
より音楽を聴いていたので、そうした出来事と
強固にむすびついているにすぎないということ。

苦笑とともにそういう事実に気がついた。

今、現在の私は全般的なアートには耽溺していない。
耽溺する気にならないときに、耽溺するときの
ことを分析してみると、
辛くて苦しくて切ないからこそ、そのときただひとつ
心を救ってくれるもの(と思っている)存在である
美しいものへ溺れていっていたんだな。
ということがわかる。

そして、今、それに耽溺することなく、
楽しかったことや幸せだったことが思い出として
現れるのではなく、現在享受していることとして。
辛かったことや苦しかったことや切なかったことを
思い出として眺めることができることに対して、
そうすることができる安定した状態を
もたらしてくれているパートナーに感謝するのである。

…ってことは、今度のライブはいわば、
「青春の思い出」を味わいにいくことになるのか?(笑)

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